コンビニでも買えるのがいいと思うの
年に何回か雑誌「文藝春秋」を買う。
毎回、新聞広告で興味をもったコンテンツをポツポツ拾い読みする程度。
今年は宇佐見りんの芥川賞受賞作「推し、燃ゆ」が掲載された3月号と、田辺聖子「十八歳の日の日記」が掲載された7月号の二冊が手元にある。
どちらも、いざ目当ての記事をばまず! と思うのだけれど、観音開き(って言うのか?)の目次を眺めるうち、連載小説を非常に中途半端な回から読み始めたり(林真理子「李王家の縁談」は連載終わってた)、「同級生交歓」で思わぬ人たちが同級生なことを知り興奮したり、なかなか目的地にたどり着けなかったりする。
さて、文藝春秋といって思い出すのは、昔読んだ椎名誠「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」(本の雑誌社)の中にある「文藝春秋10月号四六四頁単独完全読破」というエッセイ。10月号言うてもエッセイは昭和五十三年のものなので、今からえーとえと、43年前の話である。
シーナさんはおむすびとお茶を自室に持ち込み、窓際に寄せた籐椅子に座布団を二枚敷いて、まずは文藝春秋というタイトルや右上の法定文字(何年郵便物認可とかのアレ)をしみじみ眺めてから、いざ本丸ならぬ本文に突入するのであった。
就職先を半年もしないで辞め鬱々としていた私は本書にいたく感銘を受け、本にまみれた人生も悪くないと思い、図書館司書の参考書なんかを取り寄せてみたものの、再度の学生生活や図書館勤務の狭き門に及び腰となり、あっさり諦めたのは良かったのか悪かったのかいまだにナゾである(だからモネちゃんを応援したいのだ)。
そして現在、7月号は予想通り巻頭のコラム陣でもたつき(突端の藤原正彦「古風堂々」が面白かった!)、飛ばして酒井順子の「紀子さまと小室佳代さん 1966年、丙午生まれの私たち」を興味深く読み終わったところで、お聖どんの若き日の日記にはいつになったらたどり着けるのやら。
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