『光車よ、まわれ!』再文庫化

アニメ「電脳コイル」との類似点もウワサされる天沢退二郎初の長編ファンタジー『光車よ、まわれ!』が、このたび再度文庫本化されます。

初版37年前ですかー、そんなに経つかね。
中学の薄暗い図書館(ウチは図書室でなく、独立した分館でした)で初めて手にしたときからずっと、天沢さんの魔法にかかったまま今まで生きてきたような気がします。

解説は三浦しをんだそうで、ちょっと個人的には気勢がそがれるものの、この作品を知らない世代に上手に訴求できる人選ではありましょう。

兎にも角にも、天沢退二郎と山尾悠子(最近なら佐藤亜紀)を読まずして日本ファンタジー(つか、幻想小説)は語れないと、あたしは思っております(ファンタジー苦手な人間が言うんだから間違いないよ/苦笑)。

お値段もお手頃なので、是非。
ちなみにあたし、これで光車4冊目ですわ;(新装される都度買っている)

中島梓『ガン病棟のピーターラビット』読了。

心に思い浮かぶまま文章を書き連ねているので(日記体裁だからしかたないか)、もう少しそぎ落とせば論旨が明確になるかなーとも思うのですが、中島さんと新井素子に限っては、小さいクライマックスを繰り返す足し算の文章が効果的なのでした。

HP上の日記と乳ガン時の『アマゾネスのように』を読み合わせて、だいたいの状況は推測できるものの、やはりあとがきにはショックを受けました。

あたしは彼女の良い読者ではありませんが、それでも「書きつづけてほしい」と祈らずにいられません。

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特に関連はないみたい

R・ゼラズニイ&F・セイバーヘーゲン『コイルズ』(創元文庫)を読みました。

主人公が超能力を使って電脳空間へダイブする際のイメージが「コイルのようになって入り込む」ということのようです。

ライバル会社と水をあけるため、情報操作を担当していた主人公ですが、社長が殺人を命じたことに強く反抗。
結果、偽の記憶を移植され別人となって社長の監視下に置かれるようになります。

しかし、ある事件を契機に徐々に記憶が戻り始め、同時に能力を発動させた途端、刺客にに狙われ恋人を拉致されてしまいます。

果たして万難を排し、主人公は自分のすべてを取り返すことができるのか!?といった内容。
最後に電脳世界に生まれた知性体が登場するあたり、ちょっこし攻殻機動隊っぽかったですねー(こっちのが早い作品ですが)。

コイルと直接結びつくような部分はありませんでしたが、インターフェイスを飛び越えた電脳へのアクセスや、記憶の改竄なんかは多少共通性があるかな。

いやしかし、アメリカ製のSFって、どうしてこう「お姫様攫われ系」が多いですかね。主人公が有無を言わさず奪還に派遣されてしまう点も。
この筋立てだけで、ずいぶん気勢を削がれてしまうのでした、とほほー;

イマーゴとは何か

電脳コイルの中で、この用語がどうも確定できません。
検索してみても、いくつもの解釈があるようです。

1.電脳メガネを使って、古い空間にアクセスできる”能力”を指す。
2.1の”能力者”を指す。

”イマーゴの子ども”という表現には、上記の解釈がしっくりきます。
しかし、

「量子回路の、ある特殊な基盤パターンは、微弱な電磁波を受信できるアンテナだっただけでなく、人間の意識も受信していたのよ。コイルスの主任技師はそれをイマーゴと名付けたの」

というオバちゃんの説明からすると、イマーゴとは”回路が受信した人間の意識”あるいは、”回路が人間の意識を受信する現象”を指すようにも思えます。

更に、

「現象の理論解明ができないまま量産に踏み切られた回路が、人間の意識をも受信していると気付いた技師は実験をくり返し、イマーゴを中心としたコイルシステムを構築し、電脳医療に応用したの」

となると、超能力のような不安定な要素を中心としたシステムは汎用にはなりません。

以上からイマーゴとは「電脳メガネを使う人間の”ある特定の心理・感情”を受信してプログラム化し、電脳空間にエンコードする現象」を指すのではないでしょうか。

”ある特定の心理・感情”は、嫉妬や憎悪、深い悲しみや後悔といった、痛みを伴うもののようにも思えます。
イマーゴ機能をはずせなかったメガネを使う子ども全部がイマーゴを体験するわけではなく、強い痛みの感情をもったその時、不意に電脳空間にアクセスし自分の感情をリアルな映像として実体験してしまう、それが”イマーゴの子ども”と呼ばれるのではないでしょうか。

ヤサコは4423(=ノブヒコ)に淡い恋をした痛みから、イサコは兄ノブヒコをヤサコに取られそうになる嫉妬と恐怖の痛みから、カンナはハラケンへの恋とケンカ別れした後悔の痛みから、それぞれイマーゴが発動した、と。

イマーゴを逆流させるとは、電脳空間に取り出された(=プログラム化された)人間の意識を、元の体へ送り返すこと。
電脳医療とはイマーゴ現象を利用して、傷ついた意識(心理)を電脳のプログラム上で解析・修復し、元の体に戻すこと……そんな風に考えています。

これも電脳コイルの元ネタか?

えーと、R・ゼラズニイ&F・セイバーヘーゲン『コイルズ』(創元文庫)。

「電脳コイル」の”コイル”という名称が何からきてるのか分かんなくて、あれこれ検索していましたら、上記のSFが引っかかりました。
1986年版なので古書通販で本日ゲット。

コンピューターのデータを直接読み取れる超能力(きゃ♪)をもつ青年が、すり替えられた記憶の秘密を追うサスペンスSFとなっております。
『ニューロマンサー』以降だから、一応サイバーパンクに入るんだろうけど。

早速読んでみて、有効な情報あったらアップいたしますね!

電脳コイル#26「ヤサコとイサコ」(最終回)

51wnjen93rl_aa240_ 20世紀初頭、ダダの作家であるキリコによる「街の憂愁と神秘」には、白く照り返す壁と対照的に暗い影を落とすアーケードの間を、髪の長い少女が輪まわしをしながら駆け抜けていく様子が描かれています。

しかし少女の先には不気味な黒い影が待ち受け、傍らの囚人車の存在も相まって、今後起こるであろう不吉な予兆がえもいわれぬ緊張感を孕んでいます。

電脳コイルの後半を覆うイメージは、この絵画のもつメタフィジックな不安と同調する部分が多いように思いました。
それは、孤独な魂がとらわれた街の哀しみであり、いずれおとずれる恐ろしいばかりの静寂です。

事故直後、兄ノブヒコの死を知ったイサコはその事実を拒絶し、イマーゴによって作られた電脳空間に閉じこもってしまいました。
コイルスノードのデンスケを連れた幼いヤサコは、偶然その空間に入り込み、その後何度も夢の形でアクセスすることになり――結果、ふたりは同じ電脳空間をそうとは知らず共有していたのでした。

ミチコとは、イリーガルから分離したキラバグの姿であり、彼女に導かれるとイマーゴによって電脳空間への通路が開き、最悪電脳コイル現象を起こしてプログラム化した意識が肉体に戻らなくなってしまう……おおよその事実はこんな感じ?

イサコがとらわれた鳥居階段のある空間は、死にもヤサコにも兄ノブヒコを渡さないというイサコの思いと、黒い影に覆われてしまう4423(ノブヒコ)を助けたいというヤサコの恋心が合致して生まれたものでした。
すなわち、この空間を支配するミチコは、ノブヒコに対するふたりの執着が顕現したものとも言えます。
ミチコは己が空間で生き延びるため、イサコの意識を操作するに至りました。干渉したのは猫目ソウスケ。子どもの執着をそそのかすなど、造作も無いことだったでしょう。

けれど、そんなもろもろの小賢しいトラップを全部ぶちのめし、デンスケに助けられたヤサコの怒号が、イサコを真に目覚めさせました。
道は、つづいていました。

プログラムがヒトに擬似化した自意識(あるいは自意識のようなもの)をもつというSF作品は80年代以降多々生まれました。しかし「トイレの花子さん」のような、子どもたちに特化した都市伝説と結びつけ、尚且つ「純然たる子ども時代から脱皮させる成長物語」までからめたハットトリックを最後まで破綻せずまとめあげた手腕は、ただお見事のひとこと。
正直、ここ何年の間で、これだけ完成度の高いオリジナル・アニメは他に類をみないと思います。

行方をくらましたソウスケ、メガマスの内部調査と結果報告にともなう事後処理、慰謝料問題、隠蔽に対する刑事告発等々難問山積は予断を許しませんが、とりあえず中学生になったヤサコがメガネをかけていた事実に、ちょっと安心しました。
それは「手で触れられるものだけが真実じゃない」とする、ヤサコの信念のように思えて。

厄介なものだから手放すのではなく、どう折り合いをつけていくかが大事なんだと、このお話は語ってくれたのではないでしょうか。
少々いたい思いをしても、その先に出口はある。
道は限りなく細くても、信じていればつながっていてくれる。

同じ目的をもった仲間でなくなっても、進む方向が違っても、いつかまた交わる日がくるかもしれない。
いくら変わってもかまわないから、出合ったそのとき、ためらうことなく手と手を結べるように。

いちばん近くで笑って。
遠くにいても泣いてあげられる。

それが、友だちだよ。

コイル辞典作ってます

wikiの記述をベースに、ムック版や番組観ながらメモった内容を組み合わせて、自分専用の辞典を作りました。
用語とか複雑になってきたしね。年寄りは記憶力が持続しないんスよ;

ところで「イマーゴ」なんですが。
これって、形のない人の意識を特殊回路が受信してプログラム化し電脳空間に取り出した、その状態を指すのか、一連の過程全体(現象)を指すのか、はっきりしません。
オバちゃんが「イマーゴを逆流させて」と言ってるので、後者かなあとも思うのですが。

分からないなりにも自分で要点をまとめてみると、お話の全体像がつかみやすくなる感じ。
メガネで見るから不思議な世界なんだけど、全てはプログラムなのよね。企業が意図して作ったプログラムは相応の形に見えるけど、意図しない突然変異のイリーガルやキラバグは、ホラーっぽい形なんだろうね。

キラバグ(断片的なプログラム)を集め、あっちの世界(Cドメイン空間)への通路を開くと、ミチコさん(イマーゴの子供たちの無意識集合体)に会える――これが舞台裏なのでした。

電脳コイル#25「金沢市 はざま交差点」

やさしいふりして、困ってるときは背を向ける――あなたは友だちなんかじゃないわ。
私はひとりでなんとかした、あなたも自分でなんとかしなさい!

自分が見限ったものに今さら頼れない。
ヤサコのトラウマはここにありました。
マユミちゃんと仲直りはできないけれど、それでも彼女は精一杯の誠意を示してくれたと思います。

胸の痛みが指し示す方向へ、イサコの生存を信じて進むヤサコ。
祖父小此木医師の正規のドメインでアクセスし、イサコを救うためひとり、金沢市に残っていた古い空間へ入っていきます。

ヤサコがここまでするのは、マユミちゃんのときと同じ轍を踏みたくないからでしょうね。あのときは自分の弱さから保身に走ってしまったけれど、今度こそ、友だちと呼び合える信頼を結びたい――その一心だと思います。

そして今回ついに、猫目兄弟とメガマスの思惑が明らかになりました。
イマーゴを開発し、人間の集合無意識の電脳化に成功した父の研究を横取りしたメガマス社でしたが、電脳コイル現象を制御できないとなるとあっさりこれを切り捨てました。
証拠となる古い空間を秘密裏に消す一方で、意識不明となった子どもたちの治療を小此木医師に依頼します。

大黒市がメガマス社と協力体制をとっていたのは、地元大手企業としての税収入とか天下りとか、そういったことでしょう。

ソウスケはイマーゴの子どもたちを意識不明にしミチコに捧げることで、コイルス空間を暴露し、メガマスの犯罪を露呈させ、父親の名誉を回復しようとしていたのでした。

一方、ノブヒコ・イサコ兄妹は交通事故(これもイマーゴによるものか)で、ふたりとも意識があっち世界にいってしまいましたが、イサコだけは蘇生する可能性があり、兄ノブヒコと最期の別れをするはずでした。
しかし、たまたま同じ空間に迷い込んだヤサコ(コイルスノードであるデンスケを連れていたため、空間に入りやすい)と兄の様子に嫉妬し、兄と別れたくないと強く願ったイサコの思いが、歪んだ空間を生んだ――そうミチコは言います。多分イサコの記憶を操作しつつ。

「あばずれ」とソウスケが呼ぶ、ミチコの元々は何だったのでしょう。
イマーゴ搭載メガネを使った子どもたちの、無意識の集合体が電脳化した結果が、あのように呪われた姿だったとは思いたくありません。

企業買収、不正行為、官民癒着、ナゾの量子回路、歪んだ空間の発生、犯罪の隠蔽、実験、復讐……子どもはね、自分の日常を生きるだけでいっぱいいっぱいなのに、こんな腐った大人の事情に巻き込むなよ! そう思いつつ、子どもも大人も同じ社会の一員に違いなく。

これほどの内容を盛り込んだ作品が、教育テレビで放送された真意が、ここにきて理解できました。
大人と子どもは切れているものじゃない、良くも悪くも繋がった存在なのです。
ただ、責任を負うフィールドが違うだけ。

大人は大人らしく、堂々とその背中を子どもに見せておくれ。
そんな願いをこめて、次回最終回を待ちましょう。

電脳コイル#24「メガネを捨てる子供たち」

「私がいじめてた? いじめてたのは、あなたの方じゃない!」

いじめなんて、主体と客体が簡単に逆転しちゃうもんなんですね。
ヤサコが繰る着信メールのログ、順に件名をたどるだけでも切ないです。
「さようなら。もう絶交……」こちらの展開も気になるけれど、今はイサコを取り戻さなければ。

ヤサコはハラケンの書いたメモが、はざま交差点の4つのマンホールだと、とっくに気付いていました。オバちゃんにメモを見せられたときの微妙な反応はそのためだったのね。
宙ぶらりんのままかと思っていたマユミちゃんとの伏線が、ここへきてリンクしました。さすが主人公、最後の鍵はヤサコが握っておりました。

ショックが大きすぎて涙も出なかったけど、今信じるものはこの胸の痛み。痛みの示す方向へ行くだけ。
しかめつらしい哲学書なんか引き合いに出さなくても、実存のなんたるかに人は自力でたどりつけるのです。

取り返しのつかないことと、まだ間に合うことの優先順位を決めたヤサコはひとり、金沢へ。
デンスケが残してくれた痛みを道連れに、イサコへと続く細い道をヤサコはひとりで歩いていきます。

メガネを取り上げられた子供たちの身の振り方はそれぞれだけど(やったねダイチ!)、自らけじめをつけようとする気持ちが、大人への階段を昇らせるんだよ。

その気持ちがある限り、結果はついてくるはず。
だからきっと大丈夫!

やっぱオレンジ党なのか?

電脳コイルを観始めて少しした頃、「なんだか天沢退二郎っぽいなー」と思ってました(#4の感想に書きましたが)。
最近どーしても気になって検索してみたら、2ちゃんスレで同様な見解が。ああ、知ってる人はみんなそう思うんだーと嬉しくなった次第。

イサコの苗字が「天沢」だし、あの女王様っぷりは龍子とカブるのよねえ。
となると、ヤサコはルミ? お兄ちゃんも出てきますしね。

天沢本は中学の図書館で偶然見つけて読んだのですが、ファンタジーが苦手なあたしが夢中になるくらい(そして今でも読み続けているくらい)大好きな作品です。

最近シリーズが復刊されたので、一気に全部読めるはず。
どんな内容かザッと知りたい方は、コチラをどうぞ(お帰りはブラウザバックでね♪)。

電脳コイル#23「かなえられた願い」

カポーティの絶筆は「叶えられた祈り」といいました。
人の願いや祈りは、他の人の犠牲の上に成り立ってしまうときがあります。

イマーゴの秘密が明かされ(量子コンピュータ!)、それに深く関わった人間たちの思惑も徐々に明らかに。
それまでこちらと電脳空間をつなぐのは回路を経由した通信だけだったのに、オバちゃんの儀式で直接空間にアクセスできるようになったってことか。

お兄ちゃんとふたりだけで暮らしたい――イマーゴの子の願い(意識)は通路を開き、兄はあちら側に閉じ込められました。
その一連を知った猫目は、現象の理論的解明のため、イサコを取り込みここまできたのね。

父と自分と、あるいは弟の保身のため、名誉のため、虚栄のため、使えるものはなんでも使い霍乱してきた猫目もまた、彼なりの願いがあったのでしょう。

ノブヒコと再会する最後のチャンス、イサコをこんこんと諭す猫目は「みんなが幸せになるため」という殺し文句を吐きます。

でも、そんな方法あるわけない。

イサコは猫目の企みを見抜きました。見抜いて尚、デンスケを助けるため、ワナの中にひとり飛び込んでいきます。
ヤサコへの告白を残して。それが、電話だなんて。そして「さよなら」だなんて!

信じることでしかつなげない、だからいつまでも信じていられる。
メガネなんか捨てろ。
手で触れられるものを信じるんだ。

ミチコさんと契約したのはイサコ。
都市伝説としてウワサをばらまいたのは、多分猫目。
引っかかってくる子どもたちを”贈り物”に、通路をひらき自説を実証する、ただそのために。

デンスケはヤサコを守り、ヌルの苦しみのタネと化していきました。
横たわる、イサコの魂のぬけがらに絶叫するヤサコ。

 君が涙の日は 飛んでいくから
 いつでも どんなときも 揺るがない手と手
 道は続いてる
 繋がっている

EDの歌詞のように、ふたりが真のともだちになる日は来るのかしら。
それすらも、時間が流していってしまうとしても――